| 劇団 民芸 公演 静 か な 落 日 *** 2009年 8月例会(142回) *** 前回例会クリアできますよう皆様のご協力おねがいします。 |
あなたも入会して一緒に楽しく鑑賞しませんか。 泉南演劇鑑賞会 TEL:072−472−3804 |
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(下記のホールでも鑑賞できます) |
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貝塚市コスモス |
粉川ふるさと |
和歌山市民会館 |
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作……………吉永仁郎 演出…………高橋清祐 装置…………勝野英雄 照明…………尾藤俊治 衣裳…………貝沼正一 効果…………岩田直行 舞台監督……伊東弘允 |
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| 広津和郎(作家)………………………伊藤孝雄 松沢はま(和郎の妻)…………………箕浦康子 広津桃子(和郎の娘)…………………樫山文枝 広津柳浪(作家・和郎の父)…………安田正利 広津桃子(女学生時代)………………加藤絹子・川岸紀恵 宇野浩二(作家・和郎の友人)………嶺田則夫 志賀直哉(作家・和郎の友人)………水谷貞雄 赤間勝美(松川裁判の被告)…………伊東理昭 安藤貞男(取調べの証人)……………梶野稔・荒井央 飯島義雄(取調べの証人)……………武藤兼治・塩田泰久 兼子ツヨ子(取調べの証人)…………相葉早苗・細川あゆみ 赤間ミナ(取調べの証人・勝美の祖母)……披岸喜美子 武田辰雄(警察官・巡査部長)………松田史朗 玉川正(警察官・警視)………………大場泉 |
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| ■広津和郎 小説家、評論家。硯友社の作家広津柳浪(りゆうろう)の次男として東京市牛込区に生まれる。早稲田大学英文科卒業。正宗白鳥やチェーホフ、アルツィバーシェフなどの影響を受け、創作や翻訳を始め、1912年舟木重雄、損西善蔵らと同人雑誌《奇蹟》を創刊。17年、同時代の青年像を〈性格破産者〉として描いた《神経病時代》で新進作家として認められる。また、《怒れるトルストイ》 《志賀直哉論》などを収めた評論集《作者の感想》(1920)を刊行、評論家としての評価も高まる。昭和期になると文学者をとりまく時代の動向に関心を強め、小説《昭和初年のインテリ作家》 《心臓の問題》などを発表。昭和10年代には独自の〈散文精神〉を説き、《忌の歴史》(1940)に庶民生活を描いた。戦後には松川事件と取り組んだ《松川裁判》(1958)や回想をつづった長編《年月のあしおと》(1963)などがある。大正・昭和にわたる文学活動の基調には、自由主義的なヒューマニズムと散文精神が一貫している。 ■松川事件 1949年8月17日、東北本線の松川-金谷川間で列車が転覆し、機関士など3人が死亡した事件・およびこの事件をめぐる長期の裁判。この時期にはドッジ・ラインによる行政整理の強行、労使の対立の激化の中で、この年7月5日の下山事件、7月15日の三鷹事件と、国鉄をめぐる不穏な事件がつづいていた。事件の翌日の8月18日吉田茂内閣の増田甲子七官房長官は記者会見で、これは〈集団組織による計画的妨害行為〉であり、〈三鷹事件をはじめ各種事件は思想的底流において同じものである〉と捜査以前に事件を共産党の破壊工作だと示唆する政治的発言を行った。警察はこの事故は首切りに反対する計画的犯行だとして、国鉄労組福島支部や付近の東芝松川工場労組の共産党員らを逮捕し、検察はこの捜査にもとづいて20名の被告を汽車転覆致死罪で起訴した。翌50年12月6日第一審の福島地裁は、検察の主張を全面的に認め、死刑5名を含む全員有罪の判決を下し、さらに53年12月22日、第二審の仙台高裁も死刑4名を含む17名有罪、3名無罪の判決を下した。しかし59年8月10日最高裁は重大な事実誤認の疑いがあるとして、有罪部分を破棄し仙台高裁に差し戻した。仙台高裁は審理をくりかえし、61年8月8日全員無罪の判決を下し、さらに最高裁は63年9月12日、検察側の上告棄却の判決を下して、14年ぶりに全員無罪が確定した。事件が共産党弾圧のための政治的なでっちあげである疑いは初めからあり、作家の広津和郎ら文化人が真実究明に努力し、労働組合をはじめとする松川事件対策協議会の被告への支援運動が広範に展開されたことも無罪確定への力になった。戦後日本における最大の冤罪事件である。なお、この事故原因は人為的工作によることは確かで、CIA の陰謀説なども存在しているが真相は未だ不明である。 |
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